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私のセビジャーナ

                ビバ エスパーニャ!
                                    木村一馬

 キエン ノ ア ビスト セビージャ  ノ ア ビスト マラビージャ
 !Quien no ha visto Sevilla,  no ha visto maravilla!

 スペインの有名な諺の一つである。 Sevilla(セビージャ)をGranada(グラナダ)に、maravilla(「素晴らしい」の意)をnada(「何も・・・ない」の意)に言い換えた諺もある。

 ともに韻を含んで、「セビージャ(又はグラナダ)を見ずして、結構と言うなかれ!」となる。 似たような諺は日本にもあった。

 スペイン語教室の先輩・Sさんからスペインへの語学留学を誘われていた。
 「元気なうちにしか出来ませんよ」 と仰有るSさんは当年72歳。 現役引退と同時に外大スペイン語科に再入学して4年間通学され、スペイン語圏に関する造詣も深い。
 高齢の母親の入院を理由に態度を保留していたが、その母親が亡くなり、断る理屈もなくなった。 その気になって20時間/週で期間1ヶ月のカリキュラム、給食設備付きの学生寮又はホームステイを条件に、二人して申し込んだ。 幸か不幸か、この宿舎の手配がつかなくて留学を断念、あとにアンダルシア地方の旅行だけが残ったというわけである。

 スペイン南部のアンダルシア地方は、とりわけアラブ文化との関わりが色濃く残っている。 711年、アフリカ大陸からイスラム教徒の侵攻を受け、その統治下におかれた領土はアル・アンダルスと名付けられた。 イスラム支配下のキリスト教徒は迫害を受けることもなく、信仰の自由を保証された。
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 その後800年にわたって根付いたイスラム教徒の国は、1492年1月2日、最後の首都・グラナダの陥落で、再びキリスト教徒の手に引き渡された。 これを契機にコロンブスの航海計画も実現し、一行がバハマ諸島に到達したのは同年10月のことである。 1492年のスペインはこのほかに、ユダヤ教徒の国外追放令が発布され、またスペイン語文法辞典が完成されたとか、スペインにとっては歴史的に意義深い年となった。

 スペインの世界遺産の数は40件でイタリアの41件に次いで世界第2位を誇っており(2008年3月現在)、人口4300万人の国に年間5000万人を超える外国人旅行者が訪れる(2004年データ)。 とりわけコルドバの回教寺院・メスキータは林立する大理石の柱で有名であるが、その内部に突如としてルネッサンス様式の金ピカの教会が出現する。 キリスト教徒達は1400本の柱を854本に削って、イスラムの神の胎内にキリスト教の殿堂を無理矢理押し込んだのである。 なお、元のメスキータはいちどに25,000人が礼拝できたとも言われている。

 大航海時代の先駆的国家であり 「太陽の没することなき帝国」 と形容された国でありながら、新憲法が制定されたのはフランコ政権後の1977年のこと。 国土全体にわたってカステジャーノ語(スペイン語)が公用語でありながら、5地域で独自の言語も公用語として認められている。 また東部地方の一部自治体では、同地方の独立の是非を問う住民投票で、9割以上が独立に賛成という不思議な国でもある。 そんな国をもう一度訪れてみたいと思わせる魅力が、この国にはある。

                                                (旅行 : 2009年9月24日〜10月4日)