氷海と船と環境:氷海工学とはどのようなものでしょうか?

第7章:氷海技術の新しい進展

地球環境問題、特に地球温暖化が叫ばれている現在、資源開発とその環境問題のみならず地球温暖化による海氷融解と生態系変化の問題が大きな話題となってきました。西欧とアジアを結ぶショート・サーキットなNSR(北方氷海航路)、北極海の膨大な石油・LNG資源の開発、それを支援する様々な氷海技術:砕氷船、砕氷支援船、氷海構造物、それに温暖化による氷海異変など・・・・バランスのとれた極地氷海研究が必要になってきました。

1:国際北極海航路計画(INSROP)

世界の大型貨物輸送はその殆どが船舶による海上輸送に委ねられている。

右の写真に示すように、現在の極東と欧州を結ぶ代表的航路は「南回り航路」である。日本からの航路を考えると、太平洋を南下し、東シナ海、南シナ海、マラッカ海峡を経由してインド洋、アラビア海、スエズ運河から地中海を抜けて欧州に至る航路であり、全航程は約11,400海里である。

もし、「北極海航路(Northern Sea Route :NSR)」が利用できればどうなるであろうか。日本から太平洋を北上し、ベーリング海峡を抜けて西に舵を取り、ロシアの北方沿岸の東シベリア海、ラプテフ海、カラ海、バレンツ海を通ってスカンディナビア半島の西岸を南下し北海経由で欧州に至る全航程約6,600海里の航路である。「南回り航路」の約60%の航程となり、商業航路として距離的には経済的効果は極めて大きい。
最近の温暖化による氷海域の後退はこのNSR航路の国際化を促進するものである。NSRは欧州と極東を結ぶ21世紀の夢とロマンの航路である。その沿線には点在するロシア北部エネルギー資源開発サイトがあり、極東のターミナルにはサハリンの石油開発サイトがある。その石油・LNGがまもなく日本に入ってくる。耐氷タンカーやLNG船の設計・建造・評価等の研究が活発化してこよう。氷海開発・輸送という工学・経済の問題と氷海環境汚染問題、この二律背反の問題をいかに調和させて行くかを真剣に考える時がきた。
氷海関連部門のさらなる進展により、北極圏に於ける真にバランスの取れた資源開発・船舶輸送が発展をとげ、耐氷大型商船はもとより大型クルーズ客船が砕氷船にconvoyされながら、白夜のNSR(Northern Sea Route)を静かに安全に航行できるようになる日も近いのではないだろうか。  

2:ポッドプロペラ:氷海で活躍

・近年、右の写真に示すようなポッド型プロペラが開発され、電気推進の砕氷船、砕氷商船、客船等に装備されるようになった。この推進器は船尾底から垂下した水密のラッパ状構造物と回転体型構造物(ポッド)およびプロペラで構成される。プロペラはポッドの中の電動モーターに直結され回転する。必要な電源は船内の発電機から鉛直軸上方のSlipring unit を通してモーターに供給される。

・ポッド型プロペラには鉛直軸のまわりに360°回転可能な回転型と固定型がある。回転型は全方位に推力が発生できるので「Azimuth thruster」と呼ばれる。略称、“Azipod”と呼ばれる。

・航海時に鉛直軸の回転角を操作すれば推力の方向が変化し横力が発生する。船体を旋回させるモーメントが得られるので舵が不要となる。

・従来プロペラはプロペラシャフトに装備され、船尾管軸受けと中間軸を介して船体内部の主機に直結、或いは減速ギヤー等を経て接続されていた。つまり、プロペラは船体に固定され機関と接続し一体で作動していたため、船尾設計の制約や軸心見通にコストがかかった。

・推力は船長方向に限られるため操船時にはプロペラの背後に置かれた舵が必要であった。
ポッドプロペラの登場によりこれらの問題点が解消された。

3:DAT(Double Acting Propeller)砕氷商船とは

・DAT船型の形態は「Bulbous bowを持つ船首」、「ポッド型プロペラ(Azipod)を持つ船尾」と見掛け上は通常のタンカー船型と変わりがないが操船方法が大きく異なる。   即ち、開水域中では通常船舶と同様にBulbous bow船首を前にして前進する。しかし、氷海域では後進状態、即ち、船尾を前にBulbous bowを後ろにして砕氷し前進する。

・DATは氷海中と開水域中の双方の海域を効率よく航海できる砕氷商船として考案された新しい概念である。

・一般に砕氷商船はその航路に氷海と開水域の両方を含む場合が多い。特に、夏季、冬季ではその割合は大きく変化する。従来,氷海を航行する船舶は砕氷抵抗が著しく大きくなるため砕氷型船首を装備する砕氷船型とする。一方、砕氷船型が開水域中に入るとバルブ(Bulbous bow)をもつ通常船舶に比べて水抵抗が大きく推進性能が悪化するとともに波浪中性能(特にスラミング性能)が悪くなる。

・「両海域で航行する氷海商船の最適な形状はどのようなものか?」は砕氷工学の長年の課題であった。その解の1つがDATである。

・2002年、2隻の同型DAT「Tempera」、「Mastera」が住友重機械工業(株)で竣工した。Bulbous Bowとポッド型プロペラを持つDATである。開水域ではBulbous Bowを前にして航行し、氷海域では船尾を前にしてポッド型プロペラが船を牽引する形で航行する。氷海航行中の「Tempera」の写真を示す。

・16MWのAzipod1基が装備され、ペロペラは5翼、直径7.6mである。ボラード推力は前進2MN、後進1.7MNである。

・本船の航路を右図に示す。シェトランド諸島付近産油サイト"A"からフィンランド・ トゥルク(ヘルシンキ西方150qの旧首都)近郊のNanntaliまで通年で原油を運ぶ。 北海を南下、スカンディナビア半島とデンマークの間のスカゲラク海峡を通り、一旦、南下してコペンハーゲンの位置するシェラン島南のストア海峡、フェ−マー海峡を経て北上、バルト海に入り、トゥルク近郊のNanntaliに至る。

・本船の航路中、北海(A〜D)は冬期でも結氷しないが、バルト海(D〜k)は結氷する。運航採算シミュレーションによりDATはこのような海域の運航に適していることが分かった。

4:新しい砕氷船

一例として、「USCGC Healy」と日本の「しらせ」と2番船の予定を紹介する。

【USCGC Healy】
  ・アラスカ石油発見(1969)が契機となって実施された「Manhattan号」の実験航海以降、多くの砕氷船が研究・建造された。1999年建造の米国USCGC Healyは当時、最強の北極,南極用砕氷船であったPolar Star, Polar Seaに続く3隻目の砕氷船である。砕氷航海中の写真を示す。

・主要目は全長128m、排水量16,260トン、合計出力30,000馬力の2軸FPP、2舵を装備する。平水中巡航速力は12kts、砕氷能力は4.5ftの平坦氷を3ktsで連続砕氷可能である。Bow Thruster、 Bow Wash System(船首から氷盤に放水して砕氷効果を向上させる装置) 、アンチ・ローリングタンクを装備する。

【「しらせ」と2番船の予定】
・日本では最強砕氷船「しらせ」が活躍してきたが、建造後25年を経過したため現在、二代目「しらせ」が(株)ユニバーサル造船舞鶴工場で建造中である。竣工予定は平成21年5月である。主要寸法は、L×B×DW×TotalPower=138m×28m×12,543t×30,000PS、2軸、 19kt、連続砕氷能力1.5m/3ktで寸法、能力とも「しらせ」と同程度である。

5:砕氷支援船

世界には多くの砕氷支援船が活躍しているが一例として、ドイツの砕氷船「Neuwerk」を紹介する。

・ドイツの砕氷船「Hanse」が退役した後,1998年に全長78.61m、推進出力5,800kW(2軸合計)の砕氷船「Neuwerk」が建造された。船体形状を右図に示す。
・本船は砕氷支援、ブイ補給、海洋環境制御、非常時曳航、消火作業等を使命とした多目的砕氷船で北海および西バルチック海で活動している。氷厚0.5mの氷海を5Kts連続砕氷航行できる。

・船首傾斜角は22°でステム下方はIsland状の船首底に繋がる。船首で破砕された氷は船側方向に押し分けられ船尾の2つのスケグの外側に流れるよう工夫されている。リーマーは装備されていない。2基のazimuth 型ダクトプロペラを装備する。

6:日本の資源確保に有効なサハリン・プロジェクトと耐氷商船輸送

・サハリン島にて石油・天然ガスを採取するプロジェクトである。1974年日ソ協力による石油・天然ガス開発(現在の「サハリンT」プロジェクト)の推進主体として石油公団や大手商社などの出資でサハリン石油開発協力が設立され調査が進められてきたが1980年代の原油価格の低迷とソ連崩壊で生産に至らず、その後エクソンが参加、1995年に日本側の商社も参加したサハリン石油ガス開発に移った。

・プロジェクトにはI〜VIまである。日本企業が参加して進行しているものは「サハリンI」と「サハリンII」である。天然ガスの予想輸送ルートを右図に示す。両者ともに順調に進めば、日本の必要原油の1割、天然ガスの3割を得ることが出来る。供給側に対して価格交渉力をもち日本に最も近い大規模な油・ガス田であるサハリンからの安定した安いガスの輸入は日本にとってはエネルギー安全保障の観点から極めて魅力的である。

・開発対象地域はサハリン島北東部でオハ(Okha:北緯53°40’)の南、約50kmと150kmに位置するオドプト(Odptu)とチャイウォ (Chaivo)等である。1966年に開発当事者とロシア政府との間で生産分与契約(Production Sharing Agreement:PSA)が調印された。

・2005年末から原油の生産が開始され、サハリン島北東部の陸上を西に、さらにタタール海峡の海底を65km横断して大陸のデカストリ石油輸送基地までパイプラインで輸送され、そこから消費地へタンカーで輸送される予定である。

・原油開発を先行させているが狙いは天然ガスである。2、400km南方の東京周辺に生ガスを直接輸送する「海底パイプライン計画」と連動している。日本は天然ガスのほぼ全量を LNG( 液化天然ガス)としての輸入しているのでこれが実現すれば初の事例となる。

・パイプライン方式は3、000km以内であれば、受入れ基地に巨大な設備投資が必要となるLNG輸送に比べて優位とされている。最大の関心事はコストである。長大な海底パイプラインの敷設には漁業保障問題が絡んでおり想定するコースや販売価格が固まっていない。漁業保障を含めると割高になる可能性もあり最終コストを買い手候補である電力会社等需要家に提示できていない。日本へのガス供給が優先とされて来たが交渉次第では中国へ引く代替案もあるといわれている。

・1994年6月サハリン・エナジー社とロシア政府との間に生産分与契約が調印され、評価作業鉱区の原油開発の承認・融資を経て1999年7月アストフスコエ鉱区では原油の商業ベース生産を開始した。開発対象はサハリン島北東部大陸棚のピリトゥン・アストフスコエ(Piltun-Astokhskoye:オハ南方100km)とルンスコエ(Lunskoye:オハ南方260km)の2鉱区である。

・現在、原油掘削は洋上生産・貯蔵設備を用いて開氷期の夏場の半年間だけ行われ、タンカーで主として韓国の製油所に供給されている。2006年から石油の通年生産と天然ガスの生産開始が予定されている。

・サハリン島東海岸の両鉱区から陸上を南に延びるパイプラインでサハリン島南端のプリゴロドノエ基地まで輸送され、そこから消費地に向けてタンカーで石油とLNGを供給する計画となっている。

7:大型氷海構造物

・氷海域での資源採掘に不可欠なものが氷海構造物である。1980年代初頭、日本では相次いで大型海洋構造物を建造した。(第6章図6-2参照) Kulluk, SSDC, Super CIDS, Molikpaqなどである。

・一例として示すMolikpaqは1984年石川島播磨重工業(株)で建造され、ボーフォート海で使用されてきた通年供用可能な世界初の鋼製石油掘削用着底式氷海構造物である。現在はサハリン・プロジェクト用に改造され、サハリン沿岸域で稼動している。Super CIDSもサハリン沿岸域で使用される予定である。

8:氷海域の環境問題

・氷海域の油流出は重大な環境問題となる。「M/T Antonio Gramsci」の座礁(1979.2/28)による油流出事故の例である。ラトビアのVenspils港の近くで座礁し、原油約5,000トンが流出した。悪天候により復旧作業が進まず、この間に原油は外海へ拡散して国際問題となりスウェーデン ソ連の機関に伝えられる。

・原油と油まみれの氷海はフィンランドUto灯台の65km南の流氷域まで到達して止まる。約400万m2もの氷が汚染され2,500羽の海鳥が死んだ。氷の密氷度が高く燃焼法は効果的でなかった。風向きが変わり、スウェーデンの多くの海岸に漂着した。手作業による除去は1980年5月までかかった。その後、風向きが変化して原油はフィンランド多島海、オーランド諸島、トゥルク多島海に達し、海岸線で何百人ものボランティアにより回収され終了したのは 1980年5月末であった。