氷海と船と環境:氷海工学とはどのようなものでしょうか?

−はじめに−


$1 氷海工学物語

氷海工学

北極点を中心にして地球を地軸の方向から眺めてみよう。第一の印象として「未知なる世界、夢のあるところ、何かロマンあふれるところ」と思う人も多いのではないだろうか。そして目を凝らしてみると、永久氷や流氷で覆われる面積約1,400万Km2の北極海が北極点のまわりに拡がっており、これを取り囲むロシア連邦、アラスカ、カナダ、グリーンランド、スカンディナヴィア諸国などの国々が北極圏(北緯66°33′以北)に乗り出すかたちで向き合っている事がわかる。
一方、南極点から眺めると、南緯55°付近まで広がっている約6,500万Km2の南極海の中に氷に覆われた南極大陸(1,361万Km2)が位置するが、周辺近傍には大陸が無く南極海の周辺付近に南米大陸アルゼンチン南端、ニュージーランド、オーストラリア南部タスマニア島、アフリカ大陸南端が広い間隔をおいて取り囲んでいる。北極に比べるとやや寂しく孤立した白い大陸と言える。

「北極海」、「南極」という言葉から思いつくものは、なんだろうか。テレビで時折放映されるものとして、青白い氷原と夜空にかかるオーロラ、南極観測船「しらせ」と周りで遊ぶペンギンのむれ、白熊やセイウチなどの棲息、エスキモーの人たち・・・・・・、やや専門的になるが、著しく高緯度で分厚い海氷や氷山に覆われた地域,極寒で長く暗い冬と冷涼で短い夏,樹木のないツンドラ地帯、日本初めての南極探検家で南極に大和雪原を命名した「白瀬矗」、最近では探検家で「北極点グリーンランド単独行」の著者「植村直己」が思い出される。しかし、極圏に関する私たちの知識は非常に限られていることに気がつく。

    

本書は極地工学の中で特に砕氷船舶や氷海構造物と海氷との工学的係り合いについて、砕氷工学、氷海航行、氷海環境問題を対象とした「氷海工学」という立場から纏めてある。第1章で北極圏の概要と氷海工学の目的・課題を総論的に述べた上で、第2章から第6章までは砕氷工学を構成する各論的課題、第7章では環境問題を含めた氷海工学の最近の興味ある話題と応用例を述べている。本書は氷海工学を志す学生、実際に携る研究者・技術者を対象にした専門書でであるが、氷海に興味をもちさらに深く知りたいと望む青少年や一般の人たちにも理解できるように写真や図表を多く取り入れて読み物風にまとめた「氷海工学物語」でもある。

極圏について、最近、ひときわ興味を掻き立てているニュースがある。地球温暖化の問題である。ここ数年の間に北極海、南極海の氷は凄まじい速度で融解している。これに即発されたように最近、ロシアは各国に先立って北極点海底に国旗を立て領有権主張の強化を匂わせた。各国もこれに連動する可能性があるが、北極は世界の自然であるから、日本も確たる意見を発信する時期が来ている。また、ロシア等ツンドラ地帯では永久凍土が融解してマンモスの化石まで出現し、土地の陥没や建物の倒壊の危険も出ている。地球温暖化は確実に開水域を拡大するので資源開発やNSR等の船舶航行の発展を促すメリットがある一方で、生態系の北限が極地方に移動して人類や動植物の生態系バランスを崩し、ひいては生存にかかわる大問題を孕んでいることを忘れてはならない。「氷海域の温暖化と生態系への影響」という大変興味ある課題が提起されてきている。これらを考えていく上でその基盤となる氷海を理解するためにも本書「氷海工学」は極めて有効に役立つものと期待している。工学・理学研究者・技術者のみならずこれからを担う青少年が果たすべき氷海関連の課題は多い。

$2.「氷海工学」の出会いと興味ある最近の話題

1973年10月、中東戦争が引き金となった「オイルショック」であるからもう30年以上となる。日本のエネルギー供給を揺るがす重大問題となった。石油関連製品は値上り、トイレットペーパーがなくなって繁華街も夜は照明節約で暗くなった。当時発見された北極圏の石油・LNG資源の輸入が俄かに緊急かつ最大の関心事となり、造船国日本は20万トン大型砕氷タンカーを建造して北極海の分厚い氷をバリバリ砕き、ベーリング海峡を通過して日本に石油を輸入するという壮大な計画を立てた。カナダ、アラスカの国際プロジェクトが開始され、氷海関連国際学会が盛況を極めた。

当時、造船所に所属していた筆者は砕氷タンカー設計のブレイクスルー技術のである砕氷抵抗や砕氷船型・プロペラ研究に携わり、ドイツ・ハンブルグ氷海水槽での研究に没頭した。これが氷海工学との最初の出会いであった。その後、「オイルショック」は解消されたため大型砕氷タンカーは実現せずに21世紀を迎えた。 今世紀に入って氷海工学関連部門には次のような新たな興味のある話題がたくさん出てきた。

経済(資源開発)、社会、交通、理学、漁業、軍事の分野があるが、新たな興味深い分野として地球温暖化と氷海生態系の課題がでてきた。極圏は地球温暖化の健全性を判定する重要なバロメータである。

$3.現在の話題:サハリン石油開発と耐氷タンカー

2005年6月、ロシアの旧帝都サンクト・ペテルブルグ市のAARI(ロシア北極南極研究所)、CNIIMF(ロシア中央海洋船型研究所)、帰途ヘルシンキのAARC(Aker北極研究センター:旧Wartsila造船所氷海水槽)を訪問した。多くの氷海プロジェクトがサハリン石油開発やNSR (Northern Sea Route)と連動して盛んに行われており興味深い。AARIのDR. Jakovlevichは、サハリン石油を輸送する砕氷船2隻のconvoy(砕氷船が砕氷能力の無い船をescortすること) によるBulbous Bow 付き耐氷大型Tankerの建造・運航指針作成のため、積出港のあるサハリン南端アニワ湾からタタール海峡内奥にかけて実施したAframax Tanker「Primorye」の実船試験と解析の概要を熱心に説明してくれ非常な興味を覚えた。 サハリンT(プロジェクトT〜Xまである。)用にはエクソン・モービルがチャターするAframax Tanker5隻が韓国の現代造船所で建造中で2005年には全て完工予定である。 (写真:Conny Wickberg/DanHambe提供)

Bulbous Bowを持つ全幅42mのオイルタンカーの氷海航行は想像しただけでも豪快であるが、外板は如何に氷荷重に耐えるのか。近々、待望のサハリン石油・LNG は耐氷タンカーで日本やアジアその他に運ばれる。安全な耐氷タンカー・LNG船設計・建造の重要性はそこまできている。北海道沿岸へのオイル流出環境汚染も危機管理項目の1つである。氷海研究は遅れ馳せながら日本でも造船所、船会社、商社、船級協会等のPopularで重要な課題となろう。現在、大型氷海タンカーの実績が無いため、興味ある研究課題が山積する。砕氷タンカーの砕氷抵抗、船体・推進システム設計は勿論、設計氷荷重の把握と許容強度設計、砕氷船convoy時の外板非損傷船速とは、寒冷気温下の機関故障と氷塞、氷中火災と消防能力、船員訓練と救難システム、甲板機械の着氷、氷海域環境汚染など・・・日本に馴染みがない研究課題が盛沢山だが世界ではこれらの研究がもう始まっている。