第1章:序論
北極圏、南極圏とはどのようなところでしょうか。ロマンにあふれる北極・南極の歴史、北東航路と北西航路、北極・南極の地形は、関連する学問は、原住民と生態系は・・・・・これらを知ることから始めましょう。
1:北極・南極の探検小史
- 北極圏
(発端)
古代スカンディナヴィア人(Norseman:バイキング)が西暦870年頃、現ロシア連邦のバレンツ海に面したコラ半島(Kola Peninsula)を初めとして、アイスランド、グリーンランドや北アメリカ大陸まで航海し、狩猟や植民地の確保をした事が歴史に残されている。
(北極圏の関心の始まり)
北極圏が商業や交通の活動の舞台となるのはそのずっと後の16世紀初頭になってからのことである。北極圏のアザラシや白熊の毛皮に目をつけた毛織物業者達はこれらの加工製品で極東の富みを手に入れるために、極東への最短航路である北東航路(Northeast Passage:ヨーロッパからシベリア海を経由して極東に出る航路)や北西航路(Northwest Passage:ヨーロッパからカナダ北極海を経由して極東に出る航路)の完航を強く望むようになった。このような商業・交通上の要望により多くの地理学上の発見がなされた。
【北東航路】
1594年にBarentsがバレンツ海を発見してカラ海に入った。1609年にHudson(ハドソン)がバレンツ海を航海し、1725年〜1742 年にはBeringがべ一リング海を通過した。スウェーデンのNordenskiold(ノルデンショルド)は357tの小さな「ベガ号」で1878年から1879年の2年の歳月を費やして北東航路を完航した。しかし、一夏でこの航路を完航したのは53年後の1932年ソ連邦の砕氷船「シベリヤコフ号」によってである。
【北西航路】
1576年のFrobisher(フロビッシヤ)以降、多くの探険を経て1845年〜1848年にイギリスのフランクリン隊とロス隊が北西海岸を探険し、 1854年Mclure(マクルアー)らの科学的探険を経て、1903年〜1906年ノルウェーのAmndsen(アムンゼン)が「ヨーア号」で完航した。こうして約350年余の年月を経て念願の北東航路と北西航路の扉が開かれた。北極点への到達の試みは1893年〜1896年ノルウェーのNunsen(ナンセン)によりなされ北緯86°13′まで達した。1894年 Jackson(ジャクソン)が北極の島々の地図を作成した。アメリカ人Peary(ペアリー)は1891年以来数回にわたって犬橇による北極点への到達を試み、ついに1909年グリーンランド北部から北極点到達に成功した。
【空路と海路による北極点通過の試み】
1926年アメリカ人Byrd(バード)がスピッツベルゲンから北極点に到達した。その2日後AmndsenとNobile(ノビレ)がおなじくスピッツベルゲンから北極点に到達し、アラスカまでの横断飛行に成功した。その後、1958年にはアメリカ海軍の原子力潜水艦「ノーチラス号」がハワイのパールハーバーを出港、ベーリング海峡を経て北極海に入り海氷の下から北極点に初めて到達してイギリスのポートランドに到着した。また、1977年にはソ連邦の原子力砕氷船「アルクチカ号」が水上船により初めて北極点を通過して北氷洋横断に成功した。
- 南極圏
(探検)
南極条約で守られている南極海、南極大陸については、当然ながら氷海開発の話題はなく、科学研究の拠点として世界中の多くの国が南極観測を行っている。南極が認識されたのは18世紀後半のクックの大陸周航からといわれ、その後ベリンスガウゼンやロスの探検を経て20世紀初頭多くの探検が続くが、1911年 12月14日のアムンセンと翌年1月17日のスコットによる熾烈な南極点到達競争はそのクライマックスとなった。当時、日本の白瀬隊も30mの小さな開南丸で南極探検を行い、ロス海付近の南緯80°05′付近に接舷して”大和雪原”と命名した(1912-1/28)。第2次世界大戦後はバード隊の活躍があった。
北極海、南極海の地図には多くの著名な探検家の名前が珠玉の如く散りばめられ、ロマンに満ちた探検物語を思い出させる。この様に極地方はごく一部の人々との係わりを除き、我々の日常生活からは遠い存在であった。
2:北極圏、南極圏の概要
【北極圏】
(地軸の傾斜と極圏)
地球の自転軸は太陽の公転軌道面に対し23°27′の傾斜を持っている。北緯66°33′以北あるいは南緯66°33’以南はそれぞれ北極圏,南極圏と呼ばれる。この地軸の傾斜と高緯度が極圏を極寒とし厚い海氷を張らせる原因となる。地球が公転軌道上を春分点から秋分点まで半周する間は、北極圏側が太陽に向かって傾斜している。このため太陽光線は北極側を照らし、昼が長く夜の短い状態となる。次の秋分点から春分点までの間は北極圏側が太陽から離れる側に傾斜するために、逆に、
夜が長く昼が短くなる。南極圏側では全くこれと逆の現象となる。北緯66°33′の地点では春分点から秋分点の間は太陽の沈まぬ夏至を含み昼間の長い日が続く。秋分点から春分点までの間は太陽が昇らぬ冬至を含み夜の長い日が続く。
(高緯度地方)
さらに高緯度の北緯70°付近にあるRussia(ロシア)のMurmansk(ムルマンスク)やAlaskaのNorth Slope(ノース・スロープ)では5月20日頃から7月20日頃まで連続して白夜(white night)が続き、11月20日頃から1月20日頃まで連続して夜(極夜)が続く。北極点では、春分から秋分まで連続して昼間、秋分から春分までが連続して夜という極端な現象が起きる。
(結氷の促進)
太陽から隠れた側の極圏では気温が縦続して低下して結氷を促進させるとともに氷の融解を阻む。また,太陽光線を受ける半年の間にしても、極圏が高緯度にあるために地表に対する太陽光線の入射角度が著しく小さくなり単位面積あたりの放射熱量が低減するため気温を低下させる。これが結氷に拍車をかけ雪を降らせる原因となる。さらに、氷雪が太陽の放射熱を反射させるために気温の低下を相乗的に促進させることになる。
(積算寒度:degree days of cold)
積算寒度が寒さを示す指標として使われる。これは日平均気温の積算値であり、冬期は負となるが絶対値で表す。アラスカの北端に位置するPoint Barrow(ポイントバロー;北緯71°)の冬の積算寒度は約8,500℃・daysで,これにより海水は最大厚さ約2.2mまで成長する。一方、南極のMcMurdo Sound(マクマード・サウンド;南緯70°)の積算寒度は約13,300℃・daysとさらに低く,2.75〜3.35mの定着氷を成長させる。
(気温)
北極地方の気温については、アラスカ北極圏Point Barrowでの最高気温は7月で26℃,最低気温は2月で-47℃,年平均気温が−12・2℃である。 Russia側北極圏のYakutsk(ヤクーツク)の最高気温は7月で36℃、最低気温が2月で−63℃、年平均気温は-11.5℃で年間の温度差が約 100℃もあることで有名である。
【南極圏】
(地形・気候)
南極とは南極大陸を取り囲む南緯50〜60°付近にある南極収斂線より南の面積約6,500万km2の海域であり、そのうち南極大陸は1,361 km2を占める。地質学的には東南極と西南極に大別される。東南極は主として先カンブリア代の変成岩からなる広い地域とロス海西縁に沿う帯状の地域、また一部に古生代,中生代の堆積岩や火成岩,新生代の火山岩の地域で構成される。ロス海には標高4,023mの活火山エレバス山ある。一方、西南極はその多くが環太平洋造山帯の一部を形成し、古生代以降の堆積岩,深成岩,火山岩等からなっている。南極大陸はそのほとんどが氷に覆われていて、露岩は全面積の2%以下で沿岸部に多い。この巨大な氷塊は南極氷床と呼ばれその厚さは平均2,450m、面積は約1,200万km2と推定されている。
(気温)
北極に比べて平均で20℃ほど低く、最低気温の記録はロシアのボストーク基地で計測された−89.2℃である。この基地は内陸部で標高3,488mの高地にある。日本の昭和基地(南緯69°00′、標高20.7m)は沿岸部にあり記録された平均気温は−10.4℃、最低気温は−45.3℃である。高緯度で高地にあるドームふじ基地(南緯77°19′、標高3,810m)では平均気温−54.4℃、最低気温−79.7℃と低い気温が計測されている。北極域での最低気温は緯度の高くないシベリア大陸内部のオイミャコンやベルホヤンクスで計測されている。南極の中心は南極大陸であるのに対して北極の中心の北極海であり周辺沿岸も標高が低いため南極ほど気温が下がらない。
(生物・地下資源)
厳しい寒さのために、陸上の生物は原生動物、下等な昆虫、地衣類、コケ類、藻類などに限られる。海上の生物は、魚類のほか、ペンギン、トウゾクカモメなどの鳥類とアザラシ、鯨などの哺乳類である。地下資源は金、銅、鉄、ウラン鉱、石炭などの埋蔵が知られている。
(南極観測基地)
1957年からその翌年にかけての第3回国際地球観測年以降、各国の南極観測が盛んになった。現在、17ヶ国が合計45の基地で観測活動を行っている。日本は1956年、観測船「宗谷」を使用して南極観測を開始した。一時期中断した後再開し、観測船「ふじ」そして「しらせ」と強力砕氷船を装備して観測活動を推進し今日に至っている。観測に参加した諸国は南極条約を結び、領土権の凍結、自然保護、平和利用を決めて観測に協力している。
3:氷海に関連する学問と技術
(氷海関連課題)
極地環境下では、社会,経済,交通,理工学学術調査、氷海資源開発, 水産・生態学などのいずれをとっても、それらを構成するほとんどのものは何らかの形で海氷や極寒の影響を受ける。特に,北極圏では多くの国が向かい合っているために国際的,法制的また軍事的問題と関係してくる。
(地球温暖化と氷融解)
また最近では、地球温暖化が極海の棚氷や浮氷を融解し、永久氷や多年氷の面積を減少させ海水面レベルを増加させている。地球温暖化は確実に開水域を拡大するので資源開発やNSR等の船舶航行の発展を促すメリットがある一方で、生態系の北限が極地方に移動して人類や動植物の生態系バランスを崩し,ひいては生存にかかわる大問題を孕んでいる。経済活動としての工学(資源開発)と環境問題に関係する分野を取り出してここでは、極地工学あるいは氷海工学と呼ぶが、氷海域の温暖化と生態系という新分野との係わりも出てきた。
4:原住民と生態系
(North America沿岸)
イヌイットという単一土着民がAlaskaからGreenland,Labrador Peninsula(ラブラドル半島)の全長9,600kmにわたって住んでいる。その数は約5万人といわれクジラ、アザラシ、トナカイなどの狩猟や漁労によって生計を立てている。
(ユーラシア北部)
シベリア・イヌイットおよび古シベリアソの2種類の土着民が住んでいる。古シベリアソはギリヤク族とチャクチ族に分けられる。チャクチ族は人口約2万人である。さらにエニセイ族がある。これはツングース、ヤクート、サモエートなどの種族からなり、人口はそれぞれ6万2,000人、23万6,000人、1万 6,000人といわれる。ツングース族はもっとも広い地域に分布する。ヤクート族は主にLena(レナ)川流域に、サモエート族はTaymyr(タイミル)半島からWhite sea(白海)にいたる沿岸に住む。
(北極地方)
ツンドラと亜北極帯の2つの主要な植生帯がある。ツンドラでは地衣類や蘚苔類の植物が多く、南部から北部に向かって低木ツンドラ,草地ツンドラ,氷ツソドラとなり寒冷砂漠となる。7月ごろ一斉に花が咲き、昆虫類も繁殖する。氷上には、ホッキョクグマ、ホッキョクギツネ、トナカイ、ジャコウウシ、レミソグが、またArctic Oceanにはアザラシ、セイウチ、クジラなどが棲息する。Greenland南岸やバレソツ海(Barents Sea)、Bering Seaは好漁場として知られている。