船のある切手 (その5)
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<日昌丸> 「日昌丸」は、1938(昭和13)年に竣工した貨客船。 1956(昭和31)年に、戦後初の巡航見本市船として12月から約4カ月の間、シンガポール、ジャカルタ、バンコク、マニラ、ムンバイ、カラチなどを巡った。 巡航見本市船として東京港を出港した12月18日、日本機械巡航見本市記念切手が発行された。 (戦後初の機械巡航見本市船) |
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<南極観測船 「宗谷」> 国際地球観測年は、1957年7月1日から1958年12月31日まで続いた、国際科学研究プロジェクト。 南極観測船「宗谷」で出発していた永田武隊長率いる第1次南極観測隊により 1957(昭和32)年1月29日 「昭和基地」が開設。 「宗谷」は 6次に渡る南極観測業務に従事した。 (南極観測船 「宗谷」) (「奇跡の船」 『宗谷』) (Wikipedia 国際地球観測年) |
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<サスケハナ (Susquehanna)> 安政5年(1858)の日米修好通商条約締結100年記念として昭和33年(1958)に記念切手が発行された。 中央が井伊大老銅像、右上がペリー提督乗船のサスケハナ号。 サスケハナは、アメリカ原住民の言葉で 「広く深い川」 を意味する。 (Wikipedia サスケハナ) |
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<笠戸丸> 1908年4月28日、第1回日本人移住者781人が 「笠戸丸」(かさとまる)に乗船し神戸港を出航。 シンガポール、ケープタウンを経由し, 6月18日 ブラジル・サントス港に到着。 イギリスで建造された貨客船が、ロシアに売却され「カザン」(KAZAN)と改名、日露戦争時、旅順港で日本軍に拿捕されて「笠戸丸」に改名。 (Wikipedia 笠戸丸) (笠戸丸) |
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<咸臨丸> 咸臨丸は ペリーの来航によって、海軍の必要性に気付いた江戸幕府が、オランダに注文し 建造した 日本最初の蒸気軍艦。 全長約47m、スクリュー推進型の最新式だった。 1860年2月10日に浦賀を出向した咸臨丸は、37日間の航海の後、3月17日にサンフランシスコ湾に入り、大歓迎を受けた。 (咸臨丸難航図) (Wikipedia 咸臨丸) |
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<明治丸> 明治7年(1874)にイギリスのグラスゴーで 燈台巡視船として製造された 鉄製の帆船。 2軸のスクリューで汽船としても航行。 明治9年、明治天皇が青森から函館経由横浜まで乗船されて、7月20日に帰着されたのが 「海の日」 のモトとなった。 重要文化財に指定され、東京海洋大学越中島キャンパスに保存されている。 (明治丸) |
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<練習帆船 日本丸・海王丸> 1927年(昭和2年)、鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」が宮城県金華山沖にて暴風雨のため沈没、乗組員および生徒の合計53名が全員死亡するという惨事が発生。 この事故が契機となり、1928年(昭和3年)大型練習帆船2隻の建造が決定された。 設計はスコットランドのラメージ・エンド・ファーガッソン社、建造は神戸の川崎造船所が担当し、第1船 「日本丸」は 1930年(昭和5年)1月27日に進水、第2船 「海王丸」は 同年2月14日に進水した。 (Wikipedia 日本丸) (Wikipedia 海王丸) |
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<南蛮船> 南蛮船とは、主として 戦国から江戸時代初期にかけて日本に来航したポルトガル船をいう。 初め 「ナウ」 という500〜1000トンの大型帆船、後には 船足の速い300〜400トンの小型帆船が使用された。 天正遣欧少年使節は、1582年(天正10年)にローマへ派遣された セミナリヨで学ぶ4名の少年を中心とした使節団。 (Wikipedia キャラック船) (Wikipedia 天正遣欧少年使節) |