この図(13a)を以前の(13)と比べて見て、前の図(13)では、右側は左側の付属図であったのが、今回の図(13a)では、右の絵が大きく詳しくなったのと、右も左もそれぞれ同格に船のカタチを表現する絵となり、解りやすくなったと思います。 また作図する私としては、左右の関係を考えながら絵を描くということや、船の写真を見て得た情報を盛込む等、私の頭脳の働きと手の働きのバランスがよく、こちらの方が都合よいと感じました。
このような表現法にはコンピュータグラフィクスCGが知られています。 CGでは斜め上方から見た図や遠近法等自由自在でまことに便利なものと思います。 しかし本シリーズでは老年の私のコンピュータ・リテラシーと残された時間、その他を考えて、CGはやらず手作業を主としてやっています。 とはいえ私がいま使っている道具の発達もスゴいものがあり、最近のコンビニ店のコピー機やスキャナーの高性能と便利さには瞠目します。
ところで(13)では、畿内丸をはじめとする各船はニューヨーク航路に就航した、と簡単に述べたが、これにはニューヨーク直航航路という当時の海運の新ビジネスモデル物語がありました。 畿内丸が出現するまでは、米国向けの貨物は、主要なものは生糸(絹)でありましたが、米国西岸(サンフランシスコ、ロスアンゼルス等)でいったん荷揚げし、大陸横断鉄道に積替えてニューヨーク等の東岸へ運送していたのですが、畿内丸等は西岸での荷揚げ積替えをやめ、本船は貨物を積んだままパナマ運河経由、直接ニューヨ-クへ行く航路をはじめたのであります。 これらの船の航海速力16ノット以上であったが、この速力ならば鉄道に積替える方式と競争(走)可能だったのです。 この方式は、貨物積替え不要、またそれに伴う荷傷みが無くなるというメリットに加え、この方式は途中で別会社の鉄道を使う必要がないので、航程全体を船社で管理できるというメリットもあったと思います。 以後この方式が盛んとなり、船も優秀船が開発・建造されたのでありました。(1)
それにしても上掲の各船、大変良いカタチとあらためて感心します。
(1) 昭和造船史 第1巻 pp262 1.2.1.1(4) 高速貨物船の出現、原書房 1973
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