航空母艦(空母)は比較的新しい艦種であります。 従って後発の日本海軍も、この分野では欧米海軍とおおむね肩を並べて技術開発活動を競ったのであります。 そして太平洋戦争冒頭、日本の空母機動部隊は航空機によるハワイ奇襲をやりました。
鳳翔は世界で初めて新造計画時から空母として建造されたものでした。 このことは、当時先進各国が既成艦等の改造により空母を造ったのに対し、日本は空母分野に注力したといえます。 従って本艦はカタチも合目的なよいカタチと私は思います。
龍驤は中型空母だが、起工後要求性能変更(搭載飛行機数増加)や軍縮条約による変更等により無理な設計となったうえ、就役直後に友鶴事件、第四艦隊事件(注1)が起こり、その対策の変更工事もあり不完全な出来といわれています(1)。 しかし船のカタチとしてはハウス前面を曲面にする等の工夫をして、全体としてもナカナカよいカタチだと私は思います。
飛龍は種々の試行が行われた艦です。 もともと蒼龍級の2番艦であった飛龍だが、艦橋を左舷に配置したり、舵を左右二枚から一枚にしたりいろいろ試して、蒼龍とは大きく異なる艦となりました。 そして日本海軍の空母技術確立に大きく貢献しました。
翔鶴、瑞鶴はそれまでの検討を集大成し、折しも軍縮条約が無効となり制約を受けることなく設計されて、空母として最適の艦になったといえます。 さきの戦争で、この級は太平洋戦争冒頭ハワイ攻撃から終末期1944年まで多くの海戦においてよく活躍しました。 そのあと戦争末期、翔鶴は1944年6月のマリアナ海戦、瑞鶴は同10月の比島沖海戦で失われました。
大鳳はさらに改善を重ね、飛行甲板に装甲を施すとともに、この甲板を強力甲板(注2)としました。(2) そのカタチはエンクローズド・バウ、巨大な艦橋となり、斬新なよいカタチです。 性能も用兵からの要求を満たし、その活躍が大いに期待されたのでありましたが、就役後最初の1944年のマリアナ海戦において、米潜からの一発の魚雷攻撃により漏洩した航空燃料の爆発によりあっけなく沈没しました。 これは航空燃料という危険物に対する安全対策の不備と、未熟な乗員の運用不備によるものと思われ、敗色濃いなかで蔓延した安全軽視、人材軽視という日本海軍の悪弊であったと思います。
さきの戦争の、初期においては、これらの艦は乗員の練度・運用もよく、ハワイ奇襲等健闘したが、1942年ミッドウエー海戦において、蒼龍、飛龍等多数の空母を失いました。 それは同時に多数の飛行機と練度の高い将兵、人材を失ったことであり、以後日本の空母艦隊は、下手な戦をやるようになったと私は思います。 ミッドウエー海戦はターニングポイント、とはよく言われることです。
日本海軍は空母と飛行機による戦争を発明したが、その飛行機戦によって、日本海軍は米海軍に敗れたのでありました。
(注1) 友鶴事件、第四艦隊事件については後、駆逐艦の章に記述する。
(注2) 強力甲板については 船のカタチ-8参照
(1) 日本航空母艦史、世界の艦船481 1994-05 (2) 堀元美、現代の海戦、出版協同社1962
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