前記(船のカタチ-89)のように平賀博士の夕張の設計思想は重巡 古鷹 に盛込まれ、その後の妙高級、高雄級へと一連の系譜として継承され発展し、巡洋艦の日本独特のよいカタチが創りあげられました。その有様を上図に示します。
古鷹<1927>級・・細長い主船体とゆるやかに波うった上甲板、流線形の艦橋、誘導合成煙突と単独煙突を組み合わせた煙突の造形、主砲の20cm単装6門のならび等により、高速感のあるカタチを創りあげたと思います。 波うった上甲板というのは、艦のカタチをなるべく低くし、船体重量を極減するためにステーションごとに必要最小の深さDを算出しそれを結んだ結果、波うった上甲板となったそうだが(3)、乾舷は予備浮力に関連するので、余裕を持つことが大切と私は思います。
妙高<1929>級・・古鷹をベースとして、主砲を20cm二連装5門とし、艦橋を塔型として均整のとれたカタチとなった。 本級の中 足柄は1937年英国王ジョージ6世戴冠記念観艦式参列のため英国に派遣されたが、足柄のカタチを見た英人は「飢えた狼のようだ」と評したそうです。(1) それは戦闘艦のカタチについてのひとつの褒め言葉であると私は思います。
高雄<1932>級・・妙高型とほとんど同型だが、艦橋が著しく大きいのが特徴。 そのカタチは多数の傾斜した平面の複雑な組合せからなり、独特の良い造形になっていると私は思います。 城郭のようだという評もあります。(2)
最上<1935>級・・本級の設計主任は平賀博士から藤本造船大佐(当時)へと変わり、カタチも変わって船体中央に船楼を設けました。 主砲は15.5cm三連装5門(新造時)、第3、第4砲塔は船楼端におかれたため、船体局部歪によって主砲の回転に支障をきたしたことあったそうです。(3) 船体構造論で中央船楼は中央部の断面係数(I/y)を大とすることできてよいが、船楼端部の局部強度には要注意、とはよく言われることだが、この問題もそれであると私は思います。
利根<1935>・・最上級の発展型。 20cm二連装4門を前に集中し、後部は航空兵装専用として索敵機能(艦隊の目)を充実。 本艦は開戦時のハワイ作戦に参加し艦載水上機による索敵能力を発揮し、以後も多くの合戦に参加し活躍しました。(4)
(1) 和辻春樹、随筆・船、明治書房 1942
(2) 日本海軍艦艇発達史、重巡 高雄型、光人社丸スペシャル 1987
(3) 福井静夫、日本の軍艦、出版協同社 1957
(4) 石渡幸二、名鑑物語-利根、中公文庫1996
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