船のカタチ(89)  日本海軍の巡洋艦
               ARETHUSA <1914>級
 (参考図示)
               球磨 <1920>級、  夕張 <1923>、  古鷹 <1927>級
                                                                 2017-05 神田 修治

                ↑ 参考図示



巡洋艦には重巡洋艦(重巡)と軽巡洋艦(軽巡)の二種がありました。 日本海軍では、前記(船のカタチ-86A)のように戦艦の砲撃を主とした艦隊決戦が合戦のモデルでありましたが、このモデルにおいて巡洋艦の役割は「艦隊の目」として、艦隊の前方広範囲に高速で遊弋して情報を収集するとともに、艦隊決戦の前哨戦をやる艦とされました。(1)  重巡は前哨戦を重視して、高速とともに主砲、防御(装甲)にも注力し、他方 軽巡は高速を第一とし、主砲、防御は軽装備とされました。 また軽巡には駆逐艦の旗艦となる役割もありました。 以下、巡洋艦を記述するに当たり、まず軽巡から入ります。

日本海軍では1910年代、英海軍の軽巡
ALETHUSAを手本として球磨級等の5500トン型軽巡が建造されました。(2) そして進取の日本海軍では、5500トン型巡洋艦と同等の戦闘能力を、もっと小型の艦にまとめようという平賀博士の発案により、3100トンの軽巡が建造されました。 それが上図に示す夕張であり、当時世界の話題となりました。 夕張は試験的な艦として1隻のみの建造に止まったが、その考え方はその後に建造された重巡 古鷹級に反映されました。
このような技術開発による船のカタチの変化、系譜を上図から見てとっていただきたいと思います。

巡洋艦は高速を出すため、水抵抗が少ないよう極めて細長い船体にタービン主機を3機、4機と多数積み、それに応じて推進軸も3軸、4軸です。 船体のカタチは上図のように細長い流線形であり、概して良いカタチであると思います。 
球磨級はARETHUSAを手本として艦橋の後に煙突が3本単純に直立する等多少間の抜けたようなところもあるが、初心の謙虚さが感じられ好もしいとも私は思います。 対して夕張では工夫のカタマリです。 上部構造は空気抵抗が小なるよう階段状とし、煙突も、排煙を艦橋から遠ざけて後方に誘導排出し、二缶区画以上の排気をまとめて排出するという、誘導合成煙突とし、それと単独の煙突をうまく組み合わせてまとめ、良いカタチの煙突造形となっていると思います。 さらに艦橋と有機的に配置して上部構造をカタチづくり、上図のようなカタチとなりました。 この考えは後の重巡古鷹級に適用され、まことによい造形となったと思います。 この造型はその後の日本巡洋艦のカタチの顕著な特徴となりました。 (-89A重巡につづく)

  (1) 写真・日本の軍艦 第7巻 重巡Ⅲ、 光人社1990
  (2) 同 第8巻 軽巡Ⅰ




船のカタチ(89A)  日本海軍の巡洋艦-つづき ・ 1930年代の重巡洋艦
                古鷹 <1927>級、  妙高 <1929>級、  高雄 <1932>級、
                最上 <1935>級、  利根 <1938>級
                                                                2017-05 神田 修治


前記(船のカタチ-89)のように平賀博士の夕張の設計思想は重巡 古鷹 に盛込まれ、その後の妙高級、高雄級へと一連の系譜として継承され発展し、巡洋艦の日本独特のよいカタチが創りあげられました。その有様を上図に示します。

古鷹<1927>級・・細長い主船体とゆるやかに波うった上甲板、流線形の艦橋、誘導合成煙突と単独煙突を組み合わせた煙突の造形、主砲の20cm単装6門のならび等により、高速感のあるカタチを創りあげたと思います。 波うった上甲板というのは、艦のカタチをなるべく低くし、船体重量を極減するためにステーションごとに必要最小の深さDを算出しそれを結んだ結果、波うった上甲板となったそうだが(3)、乾舷は予備浮力に関連するので、余裕を持つことが大切と私は思います。
妙高<1929>級・・古鷹をベースとして、主砲を20cm二連装5門とし、艦橋を塔型として均整のとれたカタチとなった。 本級の中 足柄は1937年英国王ジョージ6世戴冠記念観艦式参列のため英国に派遣されたが、足柄のカタチを見た英人は「飢えた狼のようだ」と評したそうです。(1)  それは戦闘艦のカタチについてのひとつの褒め言葉であると私は思います。
高雄<1932>級・・妙高型とほとんど同型だが、艦橋が著しく大きいのが特徴。 そのカタチは多数の傾斜した平面の複雑な組合せからなり、独特の良い造形になっていると私は思います。 城郭のようだという評もあります。(2)
最上<1935>級・・本級の設計主任は平賀博士から藤本造船大佐(当時)へと変わり、カタチも変わって船体中央に船楼を設けました。 主砲は15.5cm三連装5門(新造時)、第3、第4砲塔は船楼端におかれたため、船体局部歪によって主砲の回転に支障をきたしたことあったそうです。(3)  船体構造論で中央船楼は中央部の断面係数(I/y)を大とすることできてよいが、船楼端部の局部強度には要注意、とはよく言われることだが、この問題もそれであると私は思います。
利根<1935>・・最上級の発展型。 20cm二連装4門を前に集中し、後部は航空兵装専用として索敵機能(艦隊の目)を充実。 本艦は開戦時のハワイ作戦に参加し艦載水上機による索敵能力を発揮し、以後も多くの合戦に参加し活躍しました。(4)

  (1) 和辻春樹、随筆・船、明治書房 1942  
  (2) 日本海軍艦艇発達史、重巡 高雄型、光人社丸スペシャル 1987
  (3) 福井静夫、日本の軍艦、出版協同社 1957  
  (4) 石渡幸二、名鑑物語-利根、中公文庫1996


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