船のカタチ(90)  日本海軍の駆逐艦
              雷 <1899>級、 神風 <1922>級、 吹雪 <1928>級、 陽炎 <1939>級、
              島風 <1944>、 秋月<1942>級
                                                                 2017-06 神田 修治


駆逐艦とは元来 「水雷艇駆逐艦」 とよばれ、19世紀末期仏国の水雷艇を駆逐するために英国で開発された新種の艦です。
新種とはいえこの艦は既存の水雷艇の大型高性能版であり、細長く小抵抗の船体に高出力の機関を積み高速で、魚雷や砲の重武装の艦でありました。考えてみれば、このような艦は水上戦闘艦の基本的なカタチといえ、太平洋戦争戦後も世界中で多彩な発展を遂げ、現今日本海上自衛隊のイージス艦やヘリ搭載艦等もこの駆逐艦をルーツとした艦といえます。

日本海軍はこの当時新艦種の導入に積極的に取組み、上図の
(イカヅチ)は、英国に遅れることわずか5年、日本海軍が英国へ発注した艦です。 そしてまもなく国産化し、基本思想「艦隊決戦」の要素として小型でも航洋性の優れた艦として開発を進め、英国の影響から脱却し、純日本式の航洋駆逐艦 神風<1922>を建造しました。 以後、日本駆逐艦技術は世界のトップを行き、吹雪<1928>は特型と呼ばれ、凌波性、航洋性、高速、重武装等あらゆる点で世界水準を抜きん出た艦でした。

ところが1934年の友鶴事件(水雷艇友鶴の転覆事故)、1935年の第四艦隊事件(荒天下演習中、第四艦隊の駆逐艦等の船体折損事故)が発生し、これらの艦に復原性と船体強度という船舶工学の基本的性能に欠陥あることが露見しました。 日本海軍はこれに対し、臨時調査委員会を設置し、原因調査、改善・改造工事を実施したが、改善工事には武装の一部撤去もあり、重武装の観点からは後退したことは否めませんでした。 この改善工事の考えは、それより後の新造艦にも適用されました。 その結果建造された 
陽炎<1939>は、船舶安全の基本的性能と攻撃・武装性能のバランスのとれた優秀艦でありました。 陽炎の存在を知った米海軍は対抗して新型艦FLECHER級を建造したのでありました。(後述 船のカタチ-92)

島風<1944>は高速艦です。 上記FLECHER級は陽炎級よりも高速38ノットであることを知った日本海軍は、それに負けない艦として、高圧・高温のボイラー・タービンを装備し39ノットの本艦を建造したが1隻のみの建造に終わりました。 それは高圧・高温の蒸気プラントを信頼性の高い品質で大量に生産するには、日本の工業力が不充分であったためと思います。 秋月<1942>級は空母艦隊護衛用として、魚雷よりも対空高射砲に重点を置いた駆逐艦でした。

太平洋戦争において駆逐艦は、日米ともによく戦ったが、ともにすり減ってゆき、結局日本は隻数に勝った米海軍に敗けたのだと思います。 また 「艦隊決戦」 という日本駆逐艦の固定的用兵思想は現実的ではなかったと思います。 さらに駆逐艦の主機として、高圧・高温の蒸気プラントが必要であったが、そのようなプラントの実用的・工業的な製造には当時日本の総合的な工業技術力が不足であったと思います。




船のカタチ(90A)  日本海軍の駆逐艦、 技術課題対応と技術開発
               暁 <1932>級、 友鶴 <1934>級、 友鶴改装 <1935>級、
               初春 <1933>級、 初春改装 <1935>級、 松 <1944>級
                                                                2017-06 神田 修治


さきに友鶴事件のことを記したが、今回はこのような技術的対策が「船のカタチ」へどのように影響するかを見ます。
上図2段、3段目には水雷艇
友鶴の、それぞれ新造時と事故への対策後のカタチを示します。 新造時は重武装、トップヘビーであるが、復原性改善のため上部の装備品が取除かれ、武装が軽減されたことが見て取れます。 4段、5段目は駆逐艦初春の場合で、カタチの変化はより顕著です。 艦橋が小型になり、背負式砲塔(発射管)も前部では1基撤去、後部では背負い式をやめ同一甲板に配置変更しています。 このようにトップヘビーという欠陥は改善されたが武装は貧弱になる、船舶安全と武装は矛盾し、バランスが大切で、前出の陽炎級はバランスのよい艦であったといえます。

1段目の
<1932>は前出の吹雪<1928>と同様の特型だが、吹雪と比べると、2番煙突より1番煙突が細く、落着きのわるいカタチです。 これには次のような物語があります。 吹雪級は主ボイラーが4缶あり、排煙のための合成煙突は前後2缶ずつまとめて同じ太さであったが、暁級では排熱利用の空気予熱器を採用してボイラーの効率が向上し、ボイラーを3缶とすることが出来ました。 そのため前部の1番煙突のボイラーは2缶から1缶に減じ、細い1番煙突になったのです。

6段目の
<1944>級は戦時量産急造艦、工作を容易にするため船体線図を直線的なカタチにしたがそれも広義には技術開発といえると思います。 私はこのカタチは全体としては悪くないが、船首部フレアのカタチを折れ線状(図中KL)にしたのはよくないと思います。 急造のための手抜きが露骨に感じられ、応力集中の予感もあり、さらには操船ミスで岸壁にこすったのではないかと思わせます。 これは急造のためにはやむを得ぬと開きなおった設計であるが、艦に乗組んで戦う人たちの意気を消沈させるもので、もっと工夫すべきと思います。 私ならばここはやはり曲面にしたい、そうでなければいっそのことナックルをやめて平面にした方がましと思います。 このように戦時の急造だからとカタチに手抜きをするのは日本の悪いところで先に述べた戦時標準貨物船にも見られます(船のカタチ-81)。 これに対し米国の戦標船(船のカタチ-80)ではリバティ型もビクトリー型も、カタチはイカツイけれどもよいカタチで、人々の闘志をかきたてるようなカタチであったと思います。 当時の敵国米国の量産駆逐艦はFLECHER級(後述の予定)だがこの艦のカタチはまさに闘志満々というものです。

このように日本海軍の艦船は戦況が悪くなるに従って 「船のカタチ」 が悪くなってゆくが、それは戦況悪化の中、関係者の心も衰退し、人々の心情、気概、尊厳等のヒューマンファクターをおろそかにしたあらわれであると私は思います。 いま私たちは新時代の軍備としての艦船を考えるとき、これらのヒューマンファクターを尊重してカタチを考えるべきと思います。 軍艦は国のために尽力する乗員や見送る家族たち国民の気持が高揚するような良いカタチにすべきと私は思います。
 


船のカタチ(89)へ      ギャラリーのトップに戻る       船のカタチ(91)へ