駆逐艦とは元来 「水雷艇駆逐艦」 とよばれ、19世紀末期仏国の水雷艇を駆逐するために英国で開発された新種の艦です。
新種とはいえこの艦は既存の水雷艇の大型高性能版であり、細長く小抵抗の船体に高出力の機関を積み高速で、魚雷や砲の重武装の艦でありました。考えてみれば、このような艦は水上戦闘艦の基本的なカタチといえ、太平洋戦争戦後も世界中で多彩な発展を遂げ、現今日本海上自衛隊のイージス艦やヘリ搭載艦等もこの駆逐艦をルーツとした艦といえます。
日本海軍はこの当時新艦種の導入に積極的に取組み、上図の雷(イカヅチ)は、英国に遅れることわずか5年、日本海軍が英国へ発注した艦です。 そしてまもなく国産化し、基本思想「艦隊決戦」の要素として小型でも航洋性の優れた艦として開発を進め、英国の影響から脱却し、純日本式の航洋駆逐艦 神風<1922>を建造しました。 以後、日本駆逐艦技術は世界のトップを行き、吹雪<1928>は特型と呼ばれ、凌波性、航洋性、高速、重武装等あらゆる点で世界水準を抜きん出た艦でした。
ところが1934年の友鶴事件(水雷艇友鶴の転覆事故)、1935年の第四艦隊事件(荒天下演習中、第四艦隊の駆逐艦等の船体折損事故)が発生し、これらの艦に復原性と船体強度という船舶工学の基本的性能に欠陥あることが露見しました。 日本海軍はこれに対し、臨時調査委員会を設置し、原因調査、改善・改造工事を実施したが、改善工事には武装の一部撤去もあり、重武装の観点からは後退したことは否めませんでした。 この改善工事の考えは、それより後の新造艦にも適用されました。 その結果建造された 陽炎<1939>は、船舶安全の基本的性能と攻撃・武装性能のバランスのとれた優秀艦でありました。 陽炎の存在を知った米海軍は対抗して新型艦FLECHER級を建造したのでありました。(後述 船のカタチ-92)
島風<1944>は高速艦です。 上記FLECHER級は陽炎級よりも高速38ノットであることを知った日本海軍は、それに負けない艦として、高圧・高温のボイラー・タービンを装備し39ノットの本艦を建造したが1隻のみの建造に終わりました。 それは高圧・高温の蒸気プラントを信頼性の高い品質で大量に生産するには、日本の工業力が不充分であったためと思います。 秋月<1942>級は空母艦隊護衛用として、魚雷よりも対空高射砲に重点を置いた駆逐艦でした。
太平洋戦争において駆逐艦は、日米ともによく戦ったが、ともにすり減ってゆき、結局日本は隻数に勝った米海軍に敗けたのだと思います。 また 「艦隊決戦」
という日本駆逐艦の固定的用兵思想は現実的ではなかったと思います。 さらに駆逐艦の主機として、高圧・高温の蒸気プラントが必要であったが、そのようなプラントの実用的・工業的な製造には当時日本の総合的な工業技術力が不足であったと思います。
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