船のカタチ(87)  日本海軍の戦艦
              金剛 <竣工1913>級、 金剛 <改装1941>級、
              長門 <改装1936>級、 大和 <竣工1941>級
                                                                 2017-03 神田 修治


戦艦は艦隊決戦の中心でした。戦艦を中心として巡洋艦や駆逐艦等(のちには航空母艦も)からなる艦隊を編成し、戦艦の主砲をはじめとした砲撃により相手艦隊を撃沈、撃滅するのが艦隊決戦です。 日本は日露戦争の日本海海戦において艦隊決戦に成功した後、戦艦の計画に当たっては艦隊決戦主義とそのための大艦巨砲主義という考えでやりました。
金剛<1913>級・・・当時の最新技術導入のため英国へ発注、後の艦は国内建造。 先進英国の手慣れた設計で良いカタチ。
金剛級改装<1937>・・・主機・主缶を改装し、大馬力で高速力を発揮、高速を利して以後の合戦でも大活躍。
長門級<1920, 改装1936>・・・建艦競争の中、軍縮条約のもと建造された。 図は改装後。速力よりも防御装甲に注力。
大和<1941>級・・・英米との対立のなか軍縮条約の終了を見越して、史上最大・最強の戦艦として設計・建造された。

上図を見ると
長門までは金剛と同様のカタチ、長船首楼型だが、大和ではカタチが一変して、平甲板型で上甲板が波打ったカタチとなり、また球状船首です。 上甲板の波打ったカタチは、当時、平賀譲博士等の設計の特徴で、極限までの重量軽減のため各ステーションでの最小の深さをつないだものでありました。 また球状船首は、水槽試験の結果抵抗低減の効果大であったので大和にも採用されました。(1)  この間に加賀級赤城級等(航空母艦に改造)があったが、これらはのちほど航空母艦の章で説明します。

これらの戦艦はさきの大戦を戦いました。 
金剛は数多くの戦場に出て活躍し、戦果を上げたがその理由は30ノットという高速によるとされています。(2)  長門はあまり出撃の機会なく、戦果も上げずに終戦を迎えたがそれは高速でなく25ノットであったためとされています。(3)  大和は存在さえも秘密とされ、いたずらに「温存」されたあげく、最終段階の勝目のない戦に出てゆき、米軍飛行機に徹底的に攻撃され無残に沈没しました。(4)  「虎の子大和温存」という考えは、前回記した「国を護るよりわが身内大切」という昭和の海軍の悪弊と通ずるものがあると、私は思います。

(1) 例えば、福井静夫、日本の軍艦、出版協同社、   (2) 石渡幸二、 名艦物語、 中公文庫 1968
(3) 阿部隆史、 「ビッグ7」の戦歴、 世界の艦船2015-1   (4) 吉田満、 戦艦大和、 角川文庫1968





船のカタチ(87A)  戦艦 大和 <1941>級 追記
                                                                2017-03 神田 修治
戦艦大和には、日本人にとって、なにか特別の思いがあるようです。 その表れとして、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)には戦艦大和の1/10大模型があってたくさんの人々が見学しているし、市販されているプラモデルにも大小多種の大和モデルがあります。 さらに漫画・アニメの宇宙戦艦ヤマトや、電磁推進開発の試験モデル船はYAMATOと命名されています。 そこで本シリーズも戦艦大和について画を追加したいと思います。

上図は戦艦大和の艦型図、三面図と、それをもとに作成した右舷45°前方から見た図、右舷15°前方から見た図です。
このシリーズでは恒例として斜め前から見た図を出しているがそれは正しく表現できているかどうか、かねて私は気になっていました。 そこでインターネットを調べて近似の角度から視た画像をさがし、並べて下に図示したが大略一致していると安心しています。 アタリマエの話だが、種々の視点から「やはりそうか」と思いながら作業を進めるのは良いことと私は思います。

右舷45°前方から見た図

① 公試中の写真

  上図と右図において、

  ①は本艦の公試中の
  写真、私の図では艦橋
  がスコシ大きくなってし
  まった。
 はカーデザイナー田中徹
  氏のブログのイラスト
  画像。

 右舷15°前方から視た図

② イラスト(田中徹氏)

③ 模型写真(ハイギヤード)
は模型工房モデルファクトリー ハイギヤードのホームページ中の模型の写真だが、模型はやや上方から見た画像。
これらの画像の利用について、インターネット掲示された方々にお礼を申し上げるとともに、出典へのリンク
を下記します。

 World War II Database (Yamato on trials, 30 Oct 1941, photo 3 of 4)
 戦艦大和 : カーデザイナー田中徹のブログ
 艦船模型製作代行 モデルファクトリー ハイギヤード

右舷15°前方から視た図では、船首部が上に向かって広がっているカタチがよくわかります。
これをフレアといいますが、フレアは航走中の凌波性のために重要です。 
大和はフレア大だが、長門以前(船のカタチ87)ではフレア小です。
日本海軍の戦艦は、むかし船首のフレアは小であったが、
大和級から大きなフレアになったと言えます。



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