「船のカタチ」シリーズでは、船のカタチ-86から-92に旧日本海軍を、-93から-98に米海軍USNをやりました。 それを受けて今回から海上自衛隊(海自)をやります。それは、海自は旧日本海軍を基(モト)とし、USNに学びながら発達したと思うからです。(-93A)
USNに学ぶ方法として、海自艦艇の計画・設計はUSN艦艇を手本としました。 その有様を上図(正横側面図のみ)に示します。
海自最初の護衛艦はるかぜ級は USNの駆逐艦FLECHER級 (F級)と旧海軍の陽炎級を手本にした、と私は思っていたが(資料1)には白露級をタイプシップとしSUMNER級 (S級)を参考にしたとあります。 ここに白露と陽炎、S級とF級はそれぞれ準同型です。 F級は二次大戦中陽炎級のライバルであったので(船のカタチ-90、-92)、何か因縁を感じます。 その後、護衛艦は進化し、近年はむらさめ <1996>級等となりました。 ところで現在海自の役割は「海上交通の保護」が第一とされています(資料2)。 海上交通の脅威は、潜水艦、航空機、水上艦からの攻撃です。 そこで護衛艦には、対潜戦ASW、対空戦AAW、対海上戦ASUW、三つの戦様の兵装があります。 むらさめ級は三戦様すべてに対応する汎用護衛艦です。 AAWを重視した護衛艦の最新型はイージス艦こんごう級、あたご級だがUSNのARLEIGH BURK級が手本であることは図を見ても明らかです。 またASWを重視した護衛艦は対潜ヘリコプターを搭載した艦で最新型はひゅうが級、いずも級だが、ヘリ運用に関してTARAWA級 (T級)、ESSEX級 (E級)を手本にしたと私は推察します。 海自最初の潜水艦おやしおの手本は水中高速潜水艦TANG級でした。 また涙滴型潜水艦うずしお級の手本はBARBEL級でした。 その後の海自潜水艦は、非原子力のスノーケル・デイゼル電気潜水艦として日本独自に進化し、そうりゅう級に至っています。 また海自は離島防衛、災害救助等のために揚陸艦を保有するが、揚陸艦のおおすみ級はT級、E級が手本と私は思います。
手本とは、図面や資料の供与の他、技術者等関係者へのインタビュー等多面にわたるが、USNの支援はこれら多面にわたり懇切なものでありました。 それは私自身、現役中の仕事で見聞・体験があります。 また手本を、その根底の考え方までよく理解・咀嚼して、こちらの戦様、環境に応じて応用・活用することが大切だが、日本の関係技術者はそれをウマクやったと私は思います。
このように、海自は艦艇の計画において、USNに手本という支援を受けながら、成長・発達してきたと言える、と私は思います。
(資料1) 日本造船学会編、昭和造船史、第2巻戦後編、原書房、pp590
(資料2) 香田洋二、自衛艦整備の歩み、世界の艦船869、2017-11増刊
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